人生に蘇る
今年で29歳。
大学を卒業してから楽しいこともつらいこともたくさんあったけれど、どうにかこうにか社会人人生のスタート地点をようやく見い出すことができました。
私はいろいろな会社でこれまでいろいろな会社で働きました。もちろんこれは褒められたことではありません。何をやっても人と衝突を起こすし、気分が高揚しているときはどれだけ仕事をしていても疲れ知らずなのに、気分が沈んだときはベッドから起き上がることすらできない。
多くの人に迷惑をかけ、怒りを買い、失望させ、そして見放されてきました。
だから今私には友達がいません。
中学、高校、大学、社会人と友達がいません。いや、これは今の私と連絡を取り合ってくれている人たちに失礼なのかもしれません。
彼ら、彼女らはとてもやさしく、私と連絡を取ると優しさをくれます。けれども、私は彼ら彼女らには何も差し出すことができない。彼らの行為に甘えて友達と名乗るのはあまりにもおこがましく思えてなりません。
さて、その兆候は大学生時代からあったようですが、大学の自由なカリキュラムや自由な人間関係、拘束されることのないライフスタイルに隠れていたのでしょう。
私はそれをみつけることができませんでした。
ですので、私はどうして自分自身の生活が安定しないのかが不思議でしょうがなく、幾度の挫折を味わいました。もちろんその挫折はスキルや自己啓発といった経験値として残る挫折ではなく、物事を途中で放り出して、あらゆるものをすべてリセットして一から組み立てなおすという、逃避以外のなにものでもありませんでした。
投げ出しては新しいことを一からはじめ、またそれの繰り返しです。
結局、私は永遠のビギナーのままでした。
しかしながら、どうにか私も新しく人生を始めることができるのかもしれません。
チャールズ・ディケンズの言葉を借りるなら「人生に蘇る」ことができるかもしれないと思うようになりました。
今までもこういった気分が盛り上がる症状になることはありました。
しかし、今回は少し性質が違います。
薬を処方されたことも大きな理由の一つですが、さらにもう一つ、 今まではどうやってたらのし上がっていけるかという周りの視点ばかりを気にしていましたが、今は自分自身が一体なにを楽しめるのかという、「するべき」から「したい」という気持ちへと心の底から思える思考転換が起こりました。
そのことについてはまた気が向いたときに書くとしましょう。
あまり文章を書くことになれていないせいか、知りつぼみになりそうです。体裁を気にせず、アランのように一気に書ききるスタイルで行こうとおもいます。(アランのような文才も知性もないけれど、めんどくさがりで手を抜かないと三日坊主になる自分へのいいわけとして)
私のブログタイトルは「凪の後の風景」ですが、宴のあとの静けさから、新しい一歩をはじめようという思いから名付けました。
自分のオールで漕がなければどこにも行けない凪の海を、どうにかこうにか進んでいきたいと思います。
私の今年始めたアウトドアの趣味がカヌーであることは偶然ではないのかもしれません。