通り過ぎてしまった若き20代前半を取り戻してみる
私は昔から地球儀を眺めることが好きで、今でもよく眺めています。
特にグーグルマップなんて3Dで動かせてとても魅力的で、いろんなところを旅してみたいなあなんて思うんだけれども、いざ行くとなるといろいろな理由を思い起こして出かけず終いになってしまう現状をどうにかして打破しようと思い、今こしらえている旅行に行かない理由を書き出してみて、そこからそれを一つずつ潰して、実行に移してみようと思います。
今年は最後の20代であり、また30代の始まりの人間として、若さの恩恵から離れてしまった私が、なんとかそれを取り返そうと思うのは悪いことでない思うので、やはりというべきか、ここどうにか無理やりにでも実行に移すべきなんだって思うのです。
「失われた時を求めて」というには大げさだけれども、プルースト的な邂逅にはまだ早い私には、若さを享受するために時間を割いたって問題はないはず。
それでは書いてみようと思います。
地図を眺めるのが好きだけど、旅行に実際にはいかない理由→その言い訳を取り消して何とか実行に移すための解決策あるいは、現状把握
・金がない
→ないわけじゃない。あることはあるはず。風俗に行く金を旅行に回そう
・旅行で失敗がこわい
→私は保守的で失敗を恐れたり、先が見えない状態を恐れるのが悪い癖。しかもしれでいて、ロマンを求めるのだから性質が悪い。
失敗というのは絶対に存在するものであるし、人に嫌われるのは自然なこと。
何事もやってみるべし。
若い時間はもうないということを肝に銘じるべき
・太っていて、人の視線がいやだ
→そもそも何かを期待するのがどうなのだろう?
お前が期待しているのは女かな?まあそれは悪いことではない。
痩せましょう。運動しましょう。
若さを享受するために、容姿が奇麗であるにこしたことはない
あとは実験だ。
太っているときにあえて旅行に行き、やせたときと現地の反応を比較してみよう。
それもひとつの楽しみではないだろうか?
こんなところでしょうか。
やはり、文字にしてみるとシンプルになっていいですね。
早速、明日にでもいってみようかしら。
通り過ぎてしまった楽しいはずの、23歳から28歳ぐらいまでの5年間を取り戻していきたいと思います。
今取り組もうとしていることと、将来の目標。他
最近忙しくなってきました。
従業員数十人の小規模メーカーなもので、営業がなんでもやらなくてはなりません。
・国内営業(当然ながらこれがメイン。超音波を使った特殊な機械を扱っているので、物理学よりのアカデミックな知識が必要)
最近私一人で担当するお客さんができ、見積もりを作った。競合がいるのでがんばらねば。
・海外営業(英語はしゃべれないけど、気合でしゃべる)
現代会ではサプライヤーとの会話のみ。
非常にひどい会話能力しかない。一番話が盛り上がったのはドイツワインについてのみ。
・ポスター作り(明日AIとPHを買う。つまりやったことなどない)
仕入れ先から送ってもらった英語のポスターが.aiだった。まじかよ。
・資料作り(まあ当然か)
officesoftの練習をせねば
・翻訳(ありがとうグーグル)
・マーケティング戦略(最近「新人OLつぶれかけの会社を任される」を読んだ
競合よりも値段が高くて、性能が同じものを売るにはどうするべきか?
・ソフトウェア開発(これに関しては現段階でも営業は誰もしていない。技術職からは要望が来ているものの、だれも手を手つけたがらない。プログラミングに興味のある私としてはやってみたいという心持がある)
と、まあいろいろとやることが出てきており、それなりに仕事らしいことをしはじめているのですが、その一方でやりたいことと、やるべきことがごちゃごちゃになってきたので、将来を見通してやりたいことをもう一度整理したいと思います。
まずは何を整理すればよいのか?
①なにをやりたいか?
②どんな人になりたいか?
③なぜそれらになりたいのか?
なぜこの3点なのか?
①について
なにをやりたいか?
たぶんこれは人間の存在としてもっともコアな部分になるのではないのだろうかと思います。
様々な意見があると思うのですが、私は人間の心はすべて環境に依存すると考えています。
環境とはなんぞやと思うかもしれませんが、ここでいう環境とは広義な意味合いがあります。
例えば、私が幸福であるためにはどうするか?私のストレスを減らすためにはどうするか?と考えたとき、私は自分一人の私という身体のみでそれをなすことは非常に困難であり、また可能であるとしても非常にスピリチュアルなものになります。
例えば、幸福になるためには家族、仲間と遊んだり、酒を飲んだり、女とセックスしたり、本を読んだり、マラソンしたりと、外的な環境を必ず巻き込みます。
ストレスを減らすこともそうでしょう。
外的要因が関わらないとすれば、最近流行りのマインドフルネスでしょうか?
部屋に座って、呼吸に焦点を当て、瞑想をする。たしかに自己完結的ではありますが、しかしそれだけで幸福とするにはなかなかに世離れし過ぎている気がするので、副次的な要素としての瞑想には賛成ですが、そこに人生の主眼を置くというのはちょっとなと思います。
となるとやはり「何をするか」ということは人生を幸福で過ごすための重要な要素になるとおもいませんか?
人生の1/3以上は仕事なのですから、その仕事が自分を幸福にしてくれることに越したことはありません。
残りの睡眠やプライベートですら、問題は山積みになっていきますものね。
②について
どんな人になりたいか?
一般的なイメージは違ってもう少し根源的なイメージに近くなるかもしれません。
どんな人というのは客観的にみて、自分がどういう人間であるのかということです。
例えば、
・金持ちである
・イケメンである
・優しい
・充実している
それでは具体的には?
①何をしたいか?
独立してものづくりの会社を作り、モノづくりをしたい
・蒸れないかつら、あるいは飛ばないかつら、便利なかつらをつくる
世界中を飛び回って仕事をしたい
・好きな時に海外で仕事をしたい
お金に困らない生活をしたい
②どんな人になりたいか
年をとってもモテル魅力的な人になりたい
奥さんへの愛を説きながら、若い女の子を口説ける男になりたい
我ながら俗物だなあとおもいますなあ。
集中力が切れて尻切れトンボなので、続きは次回
29歳から新しく目標見つけ、またそれと同時にキャリアを築くということ その1
久々に書こうと思います。
退職→無職→転職活動→入社→なんとなくどたばた
誰もが通る日常までのなんやかんやがようやく落ち着き、自分としてもここから再スタートするんだなあということを改めて実感できるようになりました。
そこで、今私の現在を過去と比較しながら、そして平均的29歳の人々を比較対象にしながら私は一体どんな未来を構築していくべきなのか、ということを考察していこうと思います。
その1では今と過去の仕事内容と人間関係について整理しようと思います。
「まず今の仕事とその環境」
<今の仕事内容>
・法人ルート営業(営業などしたことがない。学生時代に飲み屋の客引きをしていたくらい)
・翻訳作業(大学受験から遠のき、高校3年生の5月期ぐらいの実力だが、google翻訳による微調整をしながら続ける)
・営業資料集め(まあ、だれでもできる)
・製品学習(メーカーのため物理の知識や電子回路の知識が必要なのである)
・勉強量(とにかく勉強しないとやばい。営業のノウハウ、製品の勉強、物理の勉強、英語の勉強、プログラミングの勉強、、、スキルアップが常に求められる)
<今の人間関係>
・教養の深い人が多い
・ニュースネタで話ができる
・みんな良いひと
・ここまでゆるいのかというくらいゆるい、でもみんな仕事はしっかりやるし、ルールをきちんと守る
・ただ、やはり本当に信頼できる人というのは自分で見つけなくてはならないということを改めて学ぶ
「過去の仕事とその環境」
<過去の人間関係>
・土木作業や検査業務(社会で必要とされている仕事ではあるが、スキルはつかない。ある特定の箇所でしか役立たないものばかりなので、転勤や移動ですぐに初心者に後戻り)
・車の運転(朝早く起きて、遅くに帰る。もちろん給料などでない)
・アルバイトの指導(ほんとうに嫌な奴がおおい。いい人などいないし、一見いい人に見えても信頼できる人などいない。まあ当然。そもそも、同僚としてとらえなければならない環境に自分の身を置いていることが悪い)
・社内営業(ご機嫌をとらねばならない。とにかく気分屋が多い。というか、目上にはえばり、少しでも年下にはえばるという世界。仕事そのものよりも、いかに自分の存在を大きくみせるかに命を懸けている。そしてそのことに気づいていない)
<過去の人間関係>
・えばっているやつらばかり
・自分の存在を大きくみせたがる
・平気でいじめをするやつがいる
・機嫌をとらないと本当になにもしなくなる人間が多い
整理してみると気づくことがあるのですが、
なんというか今の職場は高校、大学の時と雰囲気が似ています。
逆に、過去の職場は中学校の雰囲気と似ているのです。
私は中学時代は、「この世の中の人間は本当に嫌な奴らばかりで、熱意のある人間もいないし、他人の足をひっぱるか、自分の立ち位置を守ろうとするやつしかいないんだな」と思っていました。
しかし、それが高校にはいってびっくり。さらには大学に入ってもっとびっくり。
みんな性格がいいし、やりたいことがみつかってそのために取り組んでいる人間、やりたいことが見つかっていなくても、みつけるために努力していて、他人をリスペクトすることを当然のことと考えている人が多かったのです。
まあもちろんすべてがそうだとは言いません。中学時代にだってすごいやつがいるし、高校大学ではひどいやつもいます。しかし、各々の環境を作り出すにはどういう気質の人が多いかで決まるわけで、そういう意味では本当に学生は外の世界に飛び出すべきだなあと思いました。
そして大学を卒業してからの私。
どうやら職業選択を間違えてからというもの、転落人生を送っていたようです。
今まで転落しつづけていましたが、ようやく徐々に転落が緩やかになり、立ち止まることができるようになったようです。
ここから私はどうするべきかを真剣に考えていくべきのようです。
チャレンジしたいこと
さて、いろいろとチャレンジしたいことがあるのですが、多すぎるのでちょっと冷静に仕事とプライベートでわけて文字にしてみたいと思います。
そうすれば、妄想が形に変わるかもしれないし、仕事とプライベートでクロスオーバーできるようなわくわくする試みができるかもしれないですしね。
ただ、チャレンジっていう言葉を使うと仰々しくて、しかも会社の事情によって左右されてしまうところがあるので、あくまでここは自分個人として、何をしたいか。
もう少し具体的に言えば、勉強してどうなりたいかを考えてみたいとおもいます。
まずは仕事から、、、
<仕事編>
・英語の勉強→海外営業をしたい。もっと踏み込めばどこの国でも仕事ができるようになりたい(そのためにはそれなりのスキルが必要ですね)
・プログラミングの勉強→簡単なシステムは自分で作れるし、仕様書もかける。幅広い言語を取り扱えることで、webやIoTなど幅広い分野の知識がほしい。
ということはディレクターなんでしょうか?
・マーケティングの勉強→これは完全な憧れ。独立したマーケッターの人のFacebookを見ているとこんな燃えるような仕事がしたいなあって思ってしまう。だからこれはまだ手を付けないほうがよさそうですね。今の営業の仕事ともちょっと距離があるように思えます。
つづいてプライベート、、、
<プライベート編>
・カヌー→奄美大島でシーカヤックをしたい。さらには海外のいたるところでカヤックをしたい
・トライアスロンに挑戦→長期休暇を有意義につかういたいですね。
・Macで写真や動画の編集をしたりして、instagramに乗せて、世界中の人と世界を共有したい。共有して友達を作りたい。
いろいろでてきましたが、次回はこれらをどうやって実践に移すかを考えていきたいともいます。
人生に蘇る
今年で29歳。
大学を卒業してから楽しいこともつらいこともたくさんあったけれど、どうにかこうにか社会人人生のスタート地点をようやく見い出すことができました。
私はいろいろな会社でこれまでいろいろな会社で働きました。もちろんこれは褒められたことではありません。何をやっても人と衝突を起こすし、気分が高揚しているときはどれだけ仕事をしていても疲れ知らずなのに、気分が沈んだときはベッドから起き上がることすらできない。
多くの人に迷惑をかけ、怒りを買い、失望させ、そして見放されてきました。
だから今私には友達がいません。
中学、高校、大学、社会人と友達がいません。いや、これは今の私と連絡を取り合ってくれている人たちに失礼なのかもしれません。
彼ら、彼女らはとてもやさしく、私と連絡を取ると優しさをくれます。けれども、私は彼ら彼女らには何も差し出すことができない。彼らの行為に甘えて友達と名乗るのはあまりにもおこがましく思えてなりません。
さて、その兆候は大学生時代からあったようですが、大学の自由なカリキュラムや自由な人間関係、拘束されることのないライフスタイルに隠れていたのでしょう。
私はそれをみつけることができませんでした。
ですので、私はどうして自分自身の生活が安定しないのかが不思議でしょうがなく、幾度の挫折を味わいました。もちろんその挫折はスキルや自己啓発といった経験値として残る挫折ではなく、物事を途中で放り出して、あらゆるものをすべてリセットして一から組み立てなおすという、逃避以外のなにものでもありませんでした。
投げ出しては新しいことを一からはじめ、またそれの繰り返しです。
結局、私は永遠のビギナーのままでした。
しかしながら、どうにか私も新しく人生を始めることができるのかもしれません。
チャールズ・ディケンズの言葉を借りるなら「人生に蘇る」ことができるかもしれないと思うようになりました。
今までもこういった気分が盛り上がる症状になることはありました。
しかし、今回は少し性質が違います。
薬を処方されたことも大きな理由の一つですが、さらにもう一つ、 今まではどうやってたらのし上がっていけるかという周りの視点ばかりを気にしていましたが、今は自分自身が一体なにを楽しめるのかという、「するべき」から「したい」という気持ちへと心の底から思える思考転換が起こりました。
そのことについてはまた気が向いたときに書くとしましょう。
あまり文章を書くことになれていないせいか、知りつぼみになりそうです。体裁を気にせず、アランのように一気に書ききるスタイルで行こうとおもいます。(アランのような文才も知性もないけれど、めんどくさがりで手を抜かないと三日坊主になる自分へのいいわけとして)
私のブログタイトルは「凪の後の風景」ですが、宴のあとの静けさから、新しい一歩をはじめようという思いから名付けました。
自分のオールで漕がなければどこにも行けない凪の海を、どうにかこうにか進んでいきたいと思います。
私の今年始めたアウトドアの趣味がカヌーであることは偶然ではないのかもしれません。